韓国の山へ
北漢山 白雲(ペグン)山荘の存続が揺らいでいます
白雲山荘(ペグンサンジャン)は韓国ソウル近郊の北漢山(プッカンサン)登山や仁寿峰(インスボン)クライミングの人たちで賑わう山小屋。
その白雲山荘の存続が揺らいでいます。
先日(9月3日)に亡くなったイ・ヨング(李永九)さんが長年営んできた民間の山小屋ですが、昨年から国立公園管理公団に所有・運営を移すという動きが明らかになり、現在裁判になっています。
白雲山荘は日本統治下の1924年にイ・ヨングさんの祖父によって始められ、イさんは1946年15歳から働き始めました。当時は今のような山登りは広まっておらず、山中の礼拝所へ参拝のために登ってくる人の宿泊が主でした。
朝鮮戦争を経て、やがて経済が発展するにつれ、登山者やクライマーが増えてきました。山荘は彼らを迎えるとともに、遭難時には救助の拠点となり、これまでに救助した人は100名を超えるとされます。山荘とイさんは韓国の登山文化と歴史を見守ってきたといえるのではないでしょうか。
さて、今回の国立公園管理公団への移行の原因は20数年前にさかのぼります。
1992年に登山者の失火により屋根が焼ける火事がありました。その後、イさんは私費4億ウォンを投じ、山仲間が材料を背負いあげるなどの協力を得ながら1997年に復旧しました。その間もシートを屋根代わりにして登山者を受け入れるなど尽力されていました。
火事の10年ほど前の1983年に北漢山は国立公園に指定されました。復旧再建にあたっては当局の許可を受けなければなりませんでした。その過程でイさんは当局と約定を交わしたのですが、その中に20年後に国に返納するという内容が含まれていました。
昨年2017年5月がその20年の期限でした。
登山関係者たちは署名運動を行い、国への返納に反対し、韓国内初の民間の山荘を登録文化財に指定して保存するよう政府に要求しています。これまで通りイさんの家族が山荘を運営できるように、としています。
国立公園管理公団は反対運動を受けて強制退去まではさせていませんが、ソウル中央地裁に所有権移転登記訴訟を起こしています。
一方でイさんを支援する側からは、国への返納について行政手続き上の問題点があると指摘しています。
予定では今月(2018年9月)が判決の時期でしたが、イ・ヨングさんの死去に伴う被告の変更手続きのため遅れるようです。
(2018年9月27日 参考 Moutain Journal、 NAVER news1)
Moutain Journal 白雲山荘物語
ニュース映像 1960年白雲山荘完成
韓国語のサイトですが古い写真やニュース映像などをご覧いただけます。
モンベル オンラインショップ 岳人2016年6月号【韓国の山】 山荘に歴史あり
韓国北漢山 白雲(ペグン)山荘 李永九(イヨング)氏訃報
ソウルの山へは地下鉄に乗って 「岳人」07年5月号投稿