日韓の交流
名著「氷壁」韓国語訳 あるクライマーのオモニの祈り
山好きの人にとどまらず幅広い人気のある井上靖氏の名著「氷壁」。30年も前に韓国語版も出版されていたようです。私も夢中になって読んだ本が、韓国人にも読まれていたことに、正直言って驚きましたし、同時に嬉しく思いました。
2007年の韓国の山岳月刊誌「MOUNTAIN」の書評のページで、「氷壁」の翻訳版があらためてとりあげられました。写真のように題名は漢字では全く同じで、読み方は「ピンビョック」です。翻訳版の出版は1980年で、1994年にポケット版(文庫本)も出ているそうです。この月の8冊の書評のうちで一番大きな誌面でした。
「血のつながりとザイル、どちらがかたいか―山岳小説『氷壁』」と題する記事では、物語の内容よりも翻訳者のオモニ(母親)と息子のクライマーについてスポットがあてられていました。母親の名はムン・ヒジョン(文希汀)、息子はチャ・ヤンジェです。
1971年に韓国からフランスへ登山技術研修のために出かけて、そのまま不法滞在で残り、登攀訓練を続けるクライマーがいました。韓国ではまだ一般の海外旅行は自由化されていなかった頃のことです。オモニは何年経っても帰ってこない息子のことを思いつづけて、その強い思いを翻訳に注ぎこんで、10年近くかけて自費翻訳出版したということです。
そもそも、渡仏前に息子から抄訳を頼まれたことが彼女が「氷壁」を訳し始めたきっかけだったそうです。翻訳を進めていくことが、息子の無事を祈ることにつながっていたのだろうと、私は想像しました。記事では「山岳人を息子に持った女の涙がしみついた本」と紹介されています。 翻訳の途中には、息子の友人で一緒にフランスに残ったクライマーが遭難死していまい、オモニはザイルパートナーが滑落死する「氷壁」のストーリーと重ね合わせながら訳したのかもしれません。
また、私は「氷壁」のモデルとなった事故のことを連想しました。
前穂高岳の東壁をクライミング中に、「切れるはずがない」という最新のナイロンザイルが切れて滑落した事故がモデルです。当時最先端だったナイロンザイルにも実は弱点があったために切れてしまったのですが、それを認めようとしない企業などを相手に、遭難者の兄の石岡繁雄さんが長い時間をかけて真実の究明を粘り強く訴え続けられました。その石岡さんと同じくらい「強い思い」がオモニにもあったことでしょう。
記事のタイトルのように、まさに「血のつながりのかたさ」と表されるものではないでしょうか。
(余談ですが、記者の求めに応じて伝えた「氷壁」が書かれた当時の日本の登山人気の状況も記事に盛り込まれています。)
(文 内野慎一 2008年7月29日作成 2014年6月1日改訂)